お知らせ

『アメリカ研究』第57号「特集論文」募集のお知らせ

2023.04.24 年報アメリカ研究

『アメリカ研究』第57 号の特集テーマは「裁くアメリカ/ 裁かれるアメリカ」です。趣意は以下の通りです。

アメリカ合衆国に関心を持つ者であれば,歴史に名を刻む「裁き」に遭遇したことがあるだろう。たとえば,キリスト教に関心を寄せる者であれば,セイレムの魔女裁判やヘスター・プリンに緋文字を負わせた裁判,あるいは1920 年代の進化論裁判に思いを馳せるだろう。人種問題を学ぶ者なら,南北戦争の導火線となったドレッド・スコット裁判や,南部の人種隔離体制を容認した19 世紀末のプレッシー対ファーガソン裁判と,その判決を覆して公民権運動に弾みを与えたブラウン対教育委員会裁判を知らないはずはない。ジェンダー問題に目を配る者であれば,人工妊娠中絶を規制 する国内法を違憲としたロー対ウェイド裁判以降の訴訟や同性婚を認めた近年の合衆国最高裁判所の判決から目を離せないだろう。

第二次世界大戦の戦勝国として一連の国際軍事法廷で日本やドイツを裁いたアメリカにおいて,「裁き」は国内にとどまるものではない。しかも,それは司法の外でも目撃されてきた。たとえば,ビリー・ホリデイが「奇妙な果実」として歌った人種隔離体制下の黒人へのリンチや,自警団的伝統に由来するさまざまな私的制裁。また,非米活動委員会による芸術創作活動の監視や,アーサー・ミラーが『るつぼ(クルーシブル)』において魔女狩りに擬えたマッカーシズムによる社会的制裁も,アメリカの「裁き」にほかならない。

これらの「裁き」に通底するものは,「正義」の実現に対するアメリカの飽くなき欲求である。つまり,アメリカは許されざる「悪」を見出し,それを徹底的に放逐する正義の国家であろうとしてきたのではないか。しかし,いかなる「裁き」にも「誤審」や「冤罪」がつきものである。裁く者ではなく裁かれた者にこそ正義があったのかもしれないし,裁かれるべき者が裁かれなかった可能性もある。ここでひとつの問いが浮かびあがる――アメリカは,誰が,誰を,何を,何のために裁いたのか(裁かなかったのか),そしてそれは歴史の検証に堪えるものなのか。

次号の特集では標記のテーマのもと,司法の内外を問わず「裁き」に焦点をあて,アメリカの「正義」を再検証する論考を募集したい。

「特集」に応募希望の会員は、2022年6月末日までに、氏名・所属・論文題目および構想・資料などの説明(400字程度)を電子メール(nenpo[AT]jaas.gr.jp([AT]を@に換えてください))で、年報編集委員会宛てにお申し込み下さい。その際のタイトルは「『アメリカ研究』特集応募」と明記してください。

執筆要項は学会ウェブサイト を参照のこと。

原稿締め切りは2022 年8 月31 日(水)。

年報編集委員会