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会報176号(巻頭言)

「越境」の声に耳をすます
──日米交流 150 周年を超えて──
別府 惠子

 「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった 4 杯で夜も眠れず」との戯歌を詠ませた黒船来航(1853 年)を日本におけるアメリカ研究元年とするのにおおかたの異存はないであろう。真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争(1941-1945)を挟んで,150 年余の紆余曲折の歴史を経たいま,太平洋を介して対面するアメリカ合衆国と日本国との関係は,たんに 2 国間のみならず,環太平洋,東南アジア諸国はいうにおよばず中近東,アフリカ大陸,ヨーロッパ諸国を巻き込む政治,経済,文学,文化,宗教問題に影響を及ぼさずにはすまなくなっている。日米安全保障条約 50 周年を迎えた 2010 年度のアメリカ学会(於大阪大学)では,特別シンポジウムが組まれ,多角的視点から日米安全保障条約をめぐる論議が行なわれたのが記憶にまだ新しい。50 年といえば人の半生。発題者には戦後生まれの者が大半を占めていたが,日米関係を考えるとき,当事者がどうアメリカと関わったかが重大な鍵を握っていることを思い知らされた。
 筆者は 1945 年 8 月 15 日を疎開先の滋賀県甲賀郡水口町で迎えた。当時 9 歳だった少女は,その後ミッション系の中高,大学で教育を受け,水増しされていないアメリカ民主主義の洗礼を受けた時代の申し子。大戦後,流行った「右のポッケにゃ夢がある。/左のポッケにゃチューインガム」の歌詞のとおり,未来を無邪気に信じ,大学・大学院でアメリカ文学を専攻,アメリカ文学研究を生涯の仕事にする羽目になる。とはいえ,アメリカ研究に携る者の例にもれず,キリスト教文化と民主主義を標榜するアメリカに対して,振幅の幅は異なっても,「拝米」と「排米」の狭間で絶えず揺れ動いている自分を意識せずにはおられない。周知のとおり,『自由の聖地』(1978),『西洋脱出の夢』(1981),『アメリカ文化と日本──「拝米」と「排米」』(2000)など日米文化(異文化)交流を考察する優れた研究書があるが,与えられたこの紙面では筆者が,折にふれ想起する西洋脱出を果たした詩人の声に耳をすましたいと思う。
 9.11 事件から 10 年を経た,今年 3 月 11 日に東日本を襲った地震・大津波とその自然災害がひき起こした原子力発電所の惨劇の傷跡はまだ生々しい。黒船来航から 100 年後の 1953 年,横浜港にひとりのアメリカ詩人が降り立った。その名はリンドレイ・ウィリアムズ・ハベル(Lindley Williams Hubbell, 1901-1994)。コネティカット植民地を設立したトマス・フッカーを先祖とするハートフォード生まれの生粋のアメリカ人。最初の詩集 Dark Pavilion でイエール新人詩人賞(1927 年)を受賞,ガートルード・スタインやパウンドなどと交流もあった「最後のモダニスト」。1960 年,彼は日本国籍を取得,日本名を林 秋石とした。京都を定住の場として,同志社大学で,その後武庫川女子大学で教鞭をとり,シェイクスピア,アメリカ現代詩を講じた。彼は,後のリービ英雄やアーサー・ビナードのように日本語を創作の使用言語とすることはなかったが,ユーモアとアイロニーに富む詩作品が多い。
 筆者がハベル氏を知ったのは,神戸女学院同窓会主催のシェイクスピア読書会講師として幾度か岡田山にお迎えしたのがきっかけ。キリスト教主義教育を建学精神とする女学院の敷地には何故か神道のお社がある。気づく者はめずらしいが,それに目を留めたハベル氏が,自動車を降りてお社の前で手を合わされた。唖然とする筆者にハベルさんが「わたしの先祖はトマス・フッカーです」と言って悪戯っぽく微笑まれたのを今でも思い出す。シェイクスピアをこよなく愛し,モンドリアンを愛でたハベル氏は能舞台に魅了され,美空ひばり,橋幸夫のファンでもあったという。(Autumn Stone in the Woods: A Tribute to Lindley Williams Hubbell, 1997)。
 詩集 Seventy Poems(1965)所収の「横浜港にて」は「わたしは何をしにきたのだろう?/母国アメリカが/人類すべてを滅ぼす/災難の種をまき/恐怖の時代の幕を切って落としたこの国に/わたしは受け入れてもらえるだろうか?」で始まり,「英知の仏陀,主なるキリストよ/この地をそっと/歩けるよう導いてください」と閉じられる。それに,1990 年来日した新しい「越境」の声,アーサー・ビナードの俳句が呼応する。「六日 午前八時ぞ/蝉よ 泣き止むな」(2010 年)。まもなく,今年も原爆記念日。
(神戸女学院大学名誉教授・松山東雲女子大学名誉教授)

2011年09月05日 | アメリカ学会会報