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会報176号(新刊紹介)

常松 洋,肥後本芳男,中野耕太郎 編
『アメリカ史のフロンティア I──アメリカ合衆国の形成と政治文化』
(昭和堂,2010 年,2,800 円)

肥後本芳男,山澄 亨,小野沢透 編
『アメリカ史のフロンティア II──現代アメリカの政治文化と世界』
(昭和堂,2010 年,2,800 円)

 外国史を学ぶ者は,対象社会を「外」から眺め,その社会に共有される自覚的あるいは無自覚な政治信条や規範,価値体系を「自らの」ものと比較することで,その理解を得ようとする。アメリカのように自意識の強い国にあっては,繰り返し上書きされる自画像をいかに批判的に検討し,再構成するのかが,われわれ研究者に課された仕事であろう。
 関西アメリカ史研究会が企画・編集した『アメリカ史のフロンティア I,II』は,「アメリカの政治文化」をタイトルに冠した論文集である。同会編の『アメリカの歴史上・下』(1982 年)からじつに 30 年を経ての企画である。「言語論的転回」後の歴史研究の手法とアプローチの変容にたいする危機感と,アメリカ史研究者の世代交代の波をいかに受け入れ,研究会としての文化を継承するかという課題をもって,この 2 巻組の論文集が編まれた。
 本論文集には,関西アメリカ史研究会会員による 18 本もの密度の濃い論考が収められている。『アメリカ合衆国の形成と政治文化──建国から第一次世界大戦まで』と題された第 I 巻は,アメリカ合衆国における国民国家の形成を経て,その変容が迫られる 19 世紀から 20 世紀初頭までをカバーする。「序」において「政治文化」の概念およびその可能性と限界が論じられるが,執筆者全員が共通の「問題意識を共有していたわけではない」。むしろ,各論考に「政治文化」概念をめぐる課題を解決する手がかりを見いだすよう促される。
 第 1 部「アメリカ政治文化の形成」は建国から南北戦争前の時期を扱う。そこでは,ジェファソン(第 1 章),ハミルトン(第 2 章),ラファイエット(第 3 章)という建国期のアイコンとそれらにまつわるナショナルな政治文化の形成過程を論じる。とくに,環大西洋世界の変容の中に建国初期のアメリカを位置づける視点と,祝賀政治による革命の記憶の呼び起こしによる国民文化の形成への着目は,近年の新しい歴史研究のアプローチを反映している。そして,ここに同時代のアメリカの生き様を浮かび上がらせるモラヴィアン・コミュニティの生活史(第 4 章)が重ねられる。
 第 2 部「アメリカ政治文化の変容」においては,南北戦争から革新主義期までの比較的長い歴史的スパンをとって,人種・階級・ジェンダーをめぐり,アメリカの「国民」あるいは「市民」概念が再構築される過程が描かれる。ここには,憲法修正 13 条をめぐる立法府での議論(第 5 章),ポピュリズム運動におけ「カラーライン」の存在(第 6 章),革新主義期の投票権改革における「浄化」の過程(第 7 章),マターナリズムにもとづく禁酒運動から改革の幅を広げていった 20 世紀転換期の女性を主体とした運動(第 8 章),そして革新主義期に専門家の出現によって再定義されることになる乳児保護と優生学(第 9 章)の 5 論文が並ぶ。19 世紀後半からの社会変動の中で,「市民」をいかに定義するかという熾烈なせめぎ合いが,公式,非公式な政治のレベルで展開されていた様子が詳らかとなり,なかでも「浄化」という言葉への注目がその問題の重層性を浮かび上がらせる。
 第 II 巻『現代アメリカの政治文化と世界──20 世紀初頭から現代まで』は,南部再建期以降から 21 世紀の初頭までを射程とし,より「世界とのかかわり」を意識した論考 9 編を所収する。第 1 部「『帝国』とアメリカ政治文化」においては,アメリカが本格的な対外進出を開始する 19 世紀後半から伝統的な「孤立主義」を完全に捨てるにいたる第二次世界大戦までを扱う。革新主義期の軍制改革(第 1 章),国際関係からみた連邦移民政策における日系移民(第 2 章),ハワイ併合をめぐる住民の駆け引きとその文明論的正当化(第 3 章),ニカラグアの承認をめぐる 1930 年代の善隣外交(第 4 章)と,どれも「帝国」アメリカが形作られていく過程の重要な局面である。20 世紀転換期を経て,アメリカの政治文化は,世界を「文明化」するという名目で内外を教化する方法を編み出し,海外へと向かった。
 第 2 部「現代アメリカの政治文化」は,第二次世界大戦から現在までを射程に,5 編の論考を収める。1940 年代のソ連研究の形成と大学史のあり方への考察(第 5 章)にはじまり,「赤狩り」時代の財団活動における知の支配をめぐる保守とリベラルの対立(第 6 章),核の時代の同盟関係をめぐるアイゼンハワー政権の対応(第 7 章),1978 年の外国諜報活動法に由来し,ブッシュの「対テロ戦争」へとつながる大統領権限の拡大と民主主義の問題(第 8 章),そして文化戦争の時代をのりこえ実現されつつある国立黒人博物館をめぐる論争(第 9 章)にて結びとなる。いわゆる政治外交史的論考が中心ながらも,同時代の知や文化をめぐる議論が並置されることで,立体的なアメリカ社会像があらわれる。
 第 I 巻の序にあるとおり,「政治文化」という語は歴史研究においてさまざまな用いられ方をしてきた。「そうである以上,厳密や用法にこだわるより,自由な解釈と使い方を容認するほうが生産的」であるとの編者の指摘は,たしかにその通りかもしれない。実際にここに集められた 18 本の論考は,それぞれの分野において他の追随を許さない質の高い分析であり,専門外の者を引き込む魅力にあふれている。
 ただ,何度も用いられる「政治文化」ということばの多義性に迷い込みそうにもなる。本論文集では,各部の冒頭に「概観」としてそれぞれが射程とする時代のアウトラインを提供する。また,巻末には年表を付し,関連地図を掲載する。こうした親切な配慮はアメリカ研究を志す学生や一般の読者が,各論考の時代的位置を把握する手助けになるだろう。とはいえ,やはりテーマ全体における各論考の理論的位置づけについての言及がほしいのは欲張りであろうか。
 時期区分についても考えさせられる部分がある。第 I 巻と第 II 巻が扱う時期は,部分的に重複する。再建から革新主義の時代は,奴隷解放,産業化の進展,そして移民の流入という国内社会の変容と,「帝国」アメリカの海外伸張が重なる時期である。本論文集では,前者を「長い 19 世紀」に,後者を「長い 20 世紀」に割り振る構成となっている。この時期の研究が厚いのは,アメリカでも日本でも同じかもしれないが,国内の改革運動と対外政策の転換との連関については今後さらに検討する余地があるかもしれない。
 「言語論的転回」後の歴史学は,アメリカ史の分野に限らず日本史などでも大きく変容している。世代間のアプローチの変化などあらためて学際的に検証する時期にきているようだ。本論文集は,「オーソドックス」な「実証的歴史学」の手法を前面に出すことによって「過度に相対主義的な視点」に警鐘をならす。言語論的転回がはたしてそういった帰結をもたらしたのかは意見が分かれるところだが,本論文集には,手堅い手法ながらも,動きまわる言説を的確に捉え分析する論考が光を放っている。今後のアメリカ史研究の進むべき方向に一石を投じる 2 冊である。
梅崎 透(フェリス女学院大学)


北村 洋 著
Screening Enlightenment: Hollywood and the Cultural Reconstruction of Defeated Japan
(Cornell UP, 2010, $35.00)
 国際関係の史的分析において社会的・文化的側面を重視する傾向は,近年ますます強まっている。「文化移転」研究についていえば,1990 年代以降,「環大西洋的世界」に関して精力的に蓄積されてきた。しかし,その分析枠組みは「ヘゲモニー国家アメリカ」から受け手である他国への「一方的な」文化移転現象の解明という隘路に陥る可能性がつきまとう。というのも,受け手側の受容程度を明らかにすることが方法論的難題の一つだからだ。また,日米双方において豊かな蓄積のある「日米関係史」についても,「環太平洋的世界」という枠組みへと位置づけなおすことも一つの課題といえるかもしれない。
 本書 Screening Enlightenment は,占領期日本においてハリウッドが果たした「啓蒙的,再教育的」役割と敗戦国の日本国民がどのようにそれを受容したのかを,「非西洋世界」における一つのケーススタディとし,日米関係の政治的・社会的・文化的相互作用を分析する有益な方法論を提起している。本書は,ハリウッドとその映画を,米国政府・軍部にとって単なる協力者ではなく,対日占領政策を遂行する“chosen instrument”(国策遂行の手段)であったと定義し,「教育的かつ啓蒙的」であるべき放映対象映画の取捨選択や検閲を含むハリウッドと政府・占領当局との緊張感のある協力関係,配給システムの構築を含む日本市場へのハリウッドのアプローチ,日本の文化エリートや消費者による受容プロセスを分析している。これらの考察により,戦後日本の「アメリカニゼーション」は,一方的な押し付けではなく,受け手側の自発的選択と受容によって,同時にアメリカ中心の戦後世界秩序に敗戦国を組み込むプロセスによって収斂されてゆく「相互作用」であったことを本書は明らかにしている。
 本書は,1 章から 5 章の前半部でアメリカ側の動向を,6 章から 8 章の後半部は日本の人々の動向を扱う二部構成となっている。前半部において北村氏は,国務省や軍部,占領当局,映画業界の膨大な一次史料の渉猟によって外交・占領政策決定過程を緻密に分析し,ハリウッド映画を普及させる中心的役割を担った Motion Picture Export Association(MPEA)や占領当局が設立を支援した Central Motion Picture Exchange(CMPE)の動向を考察している。他方,後半部におけるハリウッド映画受容過程の分析は,グラスルーツからの文化受容の実態の解明に他ならない。全国的な映画配給システムの確立,雑誌『映画の友』の復活,映画批評家と若い映画ファンの集いなど,ハリウッド映画を通じて日本人がアメリカ理解を深めてゆくプロセスがダイナミックな分析により描き出される。北村氏が冒頭で挙げた「占領期に関する理解を豊かなものに」という目的は,本論で示された応用性のある方法論とその考察によって十二分に果たされている。本書は,占領期日米関係の相互作用を政治的・社会的・文化的側面から分析した一つの新たな範であり,今後目指すべき研究であると評価したい。
高田馨里(東京経済大学)

2011年09月05日 | アメリカ学会会報