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会報174号(新刊紹介)

森 孝一・村田晃嗣 編著
『アメリカのグローバル戦略とイスラーム世界』
(明石書店, 2009 年, 4,515 円)

 本書は, 2003‐07 年度の同志社大学 COE プログラム 「一神教の学際的研究──文明の共存と安全保障の観点から」 の成果の一部であり, ジョージ・W・ブッシュ政権の 8 年間をその最末期の時点から俯瞰した上で, ブッシュ後のアメリカの行方をも展望しようとする試みである。 これまでブッシュ政権は, 同時多発テロという未曾有の事件の衝撃の下で, 情動的あるいは近視眼的に, 国際的な規範やアメリカの伝統に反する一連の政策を打ち出した, いわば異形の政権と捉えられる傾向にあった。 本書は, ともすれば批判や糾弾に流れがちであったこれらの分析とは明確に一線を画す分析を提供する。
 本書の中心を占める論考部分は, ブッシュ政権の政治基盤となった福音派と所謂 「ネオコン」 の来歴と変容を分析した第 1 部, 対テロ戦争やブッシュ・ドクトリンなど同政権の対外政策を分析する第 2 部, そして同政権が攻撃の標的としたイスラーム主義の思想と運動を考察する第 3 部よりなり, 巻末には 2007 年に同志社大学一神教学際研究センターで開催されたシンポジウムの記録が収録されている。 執筆者には, 政治学や宗教学のアカデミックな研究者のほかにジャーナリストも含まれ, そのうちシンポジウムの基調講演者であるフランシス・フクヤマを含む 6 名が外国人だ。 このように多様な視点が提示されていることが, 本書の大きな特徴である。
 しかし同時に, 本書の諸論考は, 中長期的な文脈の中にブッシュ政権期を位置づける歴史的な視点に立脚する点で共通している。 歴史的な視点に立つことで, 同時多発テロで頂点を迎えた反米イスラーム主義の動向を含め, ブッシュ政権期に生起した様々な事態が, それ以前に源流を持つ様々な潮流のひとつの帰結であったことが明らかにされている。 ブッシュ政権は, 異常事態の下に出現した異形の政権としてではなく, 様々な潮流の結節点として浮かび上がる。 一方で, 本書の執筆者たちは, ブッシュ政権期の様々な動きを不可避のものと捉えているわけではない。 むしろ, ほぼ全ての執筆者たちは, ブッシュ政権に批判的な立場をとり, 運命論的な 「文明の衝突」 論を排する視点を共有している。 現状を歴史的に位置づけつつ 「文明の共存」 に向けた新たな経路を模索するという問題意識が, 本書を貫流しているのである。
 読者は, 本書の複数の論考を重ね合わせ, あるいは対話させることで, 多面的なブッシュ政権像を構築することが出来るであろう。 例えば, フクヤマのアメリカ外交批判と中東・イスラーム世界からの寄稿者によるアメリカ外交批判を重ね合わせて考察するような, 知的な冒険を試みることも可能である。 本書から得られる知見は, 将来行われるであろう一次史料に基づく実証的研究の代替物とはなりえぬにせよ, アメリカの現状を歴史的に位置づける一助となろう。 それはまた, やや上滑りの観があるオバマ政権の 「チェンジ」 への期待を相対化するのにも役立つはずである。
小野沢 透 (京都大学)


有賀 貞 著
『国際関係史──16 世紀から 1945 年まで』
(東京大学出版会, 2010 年, 3,600 円)

 本書は, 16 世紀から第二次世界大戦終結に至る長い期間の国際関係の歴史を概説した大著である。 そこでの基本的な問題関心は, いかにして現代の世界が形作られてきたのか, 歴史的に跡付けることにより, これからの平和的な国際関係の追求, とくに日本の進むべき道の思考に役立てようとすることにあると思われるが, その叙述にはいくつかの重要な特色がみられる。
 国際関係史の叙述は一般に国際政治史的性格が強く, 本書も現実の政治過程の検討が中心となってはいるが, 各章の冒頭でその時期の国際関係のあり方や構造の特徴を極めて的確に概括しており, それにより全体を通して国際関係の変遷の大筋を把握することができる。 さらに各時期の国際関係の理解に必要な諸概念について適宜十分な説明がなされていることも, 政治過程の分析をいっそう深みのある議論にするのに役立っている。
 また著者が 「はしがき」 で言及しているように, とかく西洋中心になりがちな国際関係史の中で日本や東アジアをめぐる国際関係の比重を大きく組み込もうとした点も注目されてよい。 これは上記の問題意識からして当然ともいえるが, その結果本書は広く国際関係の視点から日本の近代史を再考する格好の機会を提供してくれる。 同様に重視してよいのは, 国際関係史におけるアメリカ合衆国に関する考察であろう。 著者が地域的にはアメリカ専攻であることを鑑みれば, とくに近代世界史の展開におけるアメリカの分析が鋭い洞察力をもってなされることが期待されるが, この点著者の持ち味が遺憾なく発揮されており, アメリカ外交史とは視座を異にした国際関係の立場からアメリカの対外関係や国際的役割を吟味するうえで, 特別に示唆に富む内容のものとなっている。 ここで本書はヨーロッパ諸列強の重要性に変わりはないにせよ, 地域的にもよくバランスの取れた国際関係論という成果を生みだしている。
 以上まず若干の特色と考える点を指摘したが, 本書の構成に目を向けると, 16 世紀から 18 世紀後半までは第 I 章 「ヨーロッパの勢力拡張期の世界」 として, 密度の濃い集約的な議論で近代国際間係史の起点を説明し, 続く 2 つの章で 「大西洋圏の諸革命」 から 「イギリスの経済的優越」 に至る時期に関し, 変動過程の動因を明確に把握しながら概括的に吟味する。 そして第 IV~V 章の本書の主要部分にあたる 「帝国主義の時代」 から 「第二次世界大戦」 に至る繰り返し大戦の破局に突入する激動の時期について, とくにアメリカの新たな国際的役割や日本の歩んだ道の国際的脈絡などを十分に視野に入れて文字通り詳細に検討を行なう。 また全体を通して中見出を設定した叙述も内容を非常に解りやすくしている。
 最後に本書の 「終章」 では, 第二次世界大戦の歴史的意義を検討するとともに, 「冷戦」 を軸にした戦後の動向について評価と批判の交錯した議論がなされている。 もとより戦後の国際関係史は本書の課題ではないが, この短い締め括りの中に, 著者の含蓄のある平和志向の国際認識と期待感が端的に示されており, 極めて味わい深いまとめとなっている。
新川健三郎 (東京大学名誉教授)


金井光太朗 編著
『アメリカの愛国心とアイデンティティ──自由の国の記憶・ジェンダー・人種』
(彩流社, 2009 年, 2,800 円)

 本書のタイトルには, 6 つのキーワードが並ぶ。 愛国心, アイデンティティ, 自由の国, 記憶, ジェンダー, そして人種である。 いずれも, アメリカ研究において頻出する用語であると同時に, それらの概念自体が, 近年では批判的検討の対象になっているものもある。 その意味で, 本書の射程は広く, 個別の論考への関心を超えて興味を持たれる人も多いであろう。
 以下においては, 8 本の独立した論文から成る本書の構成と概要を簡単に紹介してみたい。 第一部 「アメリカ人アイデンティティの形成と記憶の構築」 は, 「アメリカ人」 のプロトタイプとされてきたベンジャミン・フランクリンの複雑で流動的な 「国民意識」 を歴史化した金井光太朗論文, 独立革命の歴史を描いて三巻の大部にまとめた (1805 年刊行) 女性の歴史家マーシー・ウォレンと, 彼女の愛国的共和主義を論じた肥後本芳男論文, そして, 1840 年代のアイルランド飢饉とその記憶が, アメリカ合衆国において, 亡命してきた民族主義活動家とディアスポラの民 (アイルランド移民たち) によって, いかに形成され, いかなる役割を果たしたかを描写した山田史郎論文から成る。
 第二部 「20 世紀アメリカの国家と個人の拡大」 は, 南部ノースカロライナ州における離婚訴訟の記録を検証し, 19 世紀から 20 世紀前半の結婚観・家族間の変化を論じた佐々木孝弘論文から始まる。 次に, 中野博文論文は, 歴史家ヘンリー・アダムズに焦点を当て, 真理や進歩といった近代に特有の思想を否定すると同時に, それを体現していたかのような 20 世紀初頭のアメリカ社会に警告を発した彼の歴史観を探る。 安田こずえ論文は, 1920 年代に紙巻きタバコが男性性の象徴へと変化したことを背景に, 同時に顕在化した女性の喫煙について, それ自体は社会的に認知されていくとともに, 女性の喫煙作法が地域共同体の秩序に沿うように定められてゆく過程を, タバコに関する雑誌広告の分析を通して描いている。
 最後に第三部 「人種的境界に挑戦する国民意識」 は, 1968 年メキシコ・オリンピックの表彰台における, いわゆる 「ブラック・パワー・サリュート」 について, これを, 黒人アスリートの 「エンパワーメント」 の象徴と分析する小澤英二論文と, 1986 年にニューヨーク市で起きた 「ハワード・ビーチ事件」 について, この人種主義的暴力への抗議や事件の記憶の形成を通して, 集団内部の多様性を充分に含意したうえでの 「黒人」 の連帯の可能性を提示する村田勝幸論文から成る。
 以上のように, 本書の各論考は, 対象となる時代及びテーマにおいて多岐にわたる。 その一方で, 編者が 「あとがき」 で述懐しているように, このような論文集を有機的にまとめることは, 様々な理由があって難しいことも事実である。 しかし評者にとって, たとえば 「愛国心」 が本書に通底するテーマであるのか, 少しく疑問を抱いたものの, 個別論考の充実した内容から得るものは大きかった。
中條 献 (桜美林大学)


松田 武 著
『地球人として誇れる日本をめざして──日米関係からの洞察と提言』
(大阪大学出版会, 2010 年, 1,890 円)

 前著 『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』 (2008 年) の姉妹編として, 安保改定 50 周年という節目に刊行された本書は, 「信念の行為として著わす」 というビアードのテーゼを座右の銘とする米国研究者による, 未来志向型の提言である。 本書は二部構成となっており, 第一部で米国及び米国外交論が展開され, 第二部で国家としての日本のあり方を論じている。
 第一部で 「世界のヘゲモニー国家」 たる米国を構造的に分析した著者は, 「基地租借帝国」 と 「借金漬け」 こそが, アメリカ史の現段階であると説く。 日本は米国に基地を提供し, さらに 「思いやり予算」 まで支払っているが, そもそも米国の安保条約締結の目的は, 太平洋戦争によって日本との間に生じた力関係の変更を半ば永久的なものとすることにあった。 そのような米国の動機には 「パールハーバー症候群」 があるが, 日米の非対称性は日本国内に反米感情を生みやすい。 そこで, 日米の友好関係を維持するために, 政府や民間による文化交流という, ソフト・パワーが用いられたのである。
 第二部で著者は, 開国から現在までの期間を, 日本が精神面で自立し, 自主的に世界貢献ができる実力を身に付けるための不断の学習過程ととらえる。 著者は 「高次の道義的現実主義」 の必要性を提唱するが, それは日本国民が憲法前文の平和主義の精神を発揮し, 「国単位の良心的兵役拒否者」 として, 非軍事・民生支援の分野に徹する国際貢献を行うことを意味する。 その過程で, 日本はどの国からも 「日本を攻撃しようという気持が起きない国」 へと様変わりするという。
 このような 「自立と共生」 のグランド・デザインを実行するために, 著者は若者を中心とする地球民生支援部隊 「世界平和をめざす YJCC」 (Young Japan's Civilian Corps for World Peace) の創設を提案する。 東アジアにおいて日本の存在感が薄れつつある今日, この部隊は日本国民の生き方を国際社会に印象づけ, 間接的には, 世界各地で露骨に資源外交を展開する中国と, 日本のソフト・パワー外交の違いを際立たせるのである。
 著者は, 米国に国の安全を委ねた代償として, 日本人は安全保障に伴う必要悪としての死や暴力などに目をつむる 「ダチョウ症候群」 に陥っている, と指摘しているが, その是正策として, 核保有も含めた 「普通の国」 ではなく, 「グローバル・シビリアン・パワー」 を構想するところに, 本書の特徴がある。 ただし, 「世界平和をめざす YJCC」 への参加を, 志願制からゆくゆくは義務に基づく制度へ切り替えるとする提案は, ある種の 「徴兵制」 の復活として賛否は分かれるであろう。
 ところで著者は, 「真の友好と相互理解に基づく新しい日米条約の締結」 を提唱しておられ, 評者は大変興味をそそられるが, その内容について詳述はされていない。 60 年安保改定以来, 半世紀ぶりとなる 「安保再改定」 について, 著者の思い描く具体像をおうかがいいしたいものである。
池田慎太郎 (広島市立大学)


野口啓子・山口ヨシ子 編著
『アメリカ文学にみる女性改革者たち』
(彩流社, 2010 年, 2,800 円)

 本書は 『アメリカ文学にみる女性と仕事』 (2006) と同じ編者による秀逸な研究書である。 全体は 2 部に分けられ, 第 1 部は 「白人/男性社会への異議申し立て──人種・ジェンダー・国家」, 第 2 部は 「女性の自立とネットワーク化──結婚・職業・連帯」 となっている。
 第 1 部は, L・M・チャイルドの 『ホボモック』 論で始まり, C・M・セジウィックの 『ホープ・レズリー』 論, M・フラーの 『湖の夏, 1843 年』 論が続く。 いずれも先住民と向き合うことで, 女性の視点によるアメリカ史の書き換えが試みられているという議論である。 次いで, H・B・ストーの 『牧師の求婚』 論, H・ウィルソンの 『うちの黒んぼ』 論, S・トルースの 『ソジャナー・トルースの物語』 論, F・E・W・ハーパーの 『アイオーラ・ルロイ』 論では, 白人の家庭婦人と奴隷制度の関連性や黒人女性の自立の問題が提起される。
 第 2 部は, まさに 「闘うヒロイン」 である F・ファーンの 『ルース・ホール』 論で始まり, 大人たちの偽善に反発し, 性的欲望に正直なアンチヒロイン像を論じる E・ストッダードの 『モーガソン家の人々』 論, 結婚を夫の母親の 「介護」 の点から読み解く M・フリーマンの 『ニューイングランドの尼僧』 論, 大人を 「改革」 する力を持つ子供たちが描かれた K・ショパンの作品論が続く。 J・アダムズの 『ハルハウスの 20 年』 論では, まずは 「自分に適した職業を自ら作りだす」 必要があったというこの時代の大卒女性の苦悩も伝わってくる。 A・イージアスカの 『パンを与える人』 論では, ユダヤ系移民の女性が厳格な父権制のもとで 「自律」 を目指す過程が論じられ, C・P・ギルマンの 『ハーランド』 と 『彼女とともに我らの世界へ』 論では, 「ハーランド」 が 「個性を許さない画一化された社会」 と批判されていて, 移民国家アメリカが孕む問題の複雑さを感じさせる。
 いずれの章も作家の人生や作品, 時代背景が丁寧に論じられ, 19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのアメリカの改革精神についても, 「はしがき」 で簡潔ながら明瞭な説明がなされている。 また, 「市民としての権利を阻まれている女性の自我の探求が必然的に社会改革の問題に帰結」 し, 「書き記すこと自体が, 自己表現の手段であり, 社会への働きかけを意味する」 という論点も明確で, 当時の女性にとってペン (トルースにとっては 「口承伝説」) が唯一の改革の手段だったことがよくわかる。
 しかし, 編者自らも認めているが, その挑発的な題名とは裏腹に, 本書では女性の 「意識改革」 に重点をおく家庭小説論的要素が目立ち, 実際の社会改革運動との関連性がやや希薄に感じられる。 「フラー, カミンズ, ファーン, ストー, ギルマン, ショパンが外れたことが 『女性と仕事』 の弱点」 と感じた編者が本書に託した思いもわかるが, あえて 「女性改革者」 と銘打つなら, M・G・ニコルズ, A・ブルーマー, H・H・ジャクソン, V・ウッドハル, E・ゴールドマン, M・サンガーらの名も欲しい。 「あとがき」 に 「断念せざるを得なかった作家にも思いは残る」 とあるのはさらなる続編の予告だろう。 期待して待つことにしたい。
福田敬子 (青山学院大学)


福岡和子・高野泰志 編著
『悪夢への変貌──作家たちの見たアメリカ』
(松籟社, 2010 年, 2,520 円)

 アメリカの自由と平等という国家的理念は, その美しさとは裏腹に, 人種差別, 経済格差, 帝国主義といった現実との生々しい衝突を繰り返してきた。 そうした衝突は, 国家の矛盾や不正義を鋭く見抜き, 個人の苦悩や葛藤を深く思考する文学者の宿命的なテーマであり, かつてリチャード・チェイスがアメリカ小説を創りだす想像力の源泉に 「文化の統一性や調和」 ではなくその 「矛盾」 を探ったように, 米文学の最大の潮流は, アメリカン・ドリームの称揚と崩壊, まさに 「夢」 が 「悪夢」 に変貌する過程の描出にあった。 福岡和子が指摘するように, 作家は 「勇気を持ってアメリカの裏面を暴き, 国民に直視するように促してきた」 のであり, 畢竟, アメリカ小説の多くは, 社会や文化に対する抗議やそれらの改革を目論んできたのだ。
 本書は, 米国史上初の黒人大統領誕生の年にあわせて, 文学を通してアメリカという国家の再考を企図したアンソロジーである。 一章から三章 (丹羽隆昭・中西佳世子・福岡) で 19 世紀の代表的な作家ホーソーンとメルヴィルを論じ, 四章 (竹井智子) でジェイムズから 20 世紀に入り, 五章 (杉森雅美) でハーレム・ルネッサンス期の新しいニグロ像を検証し, 六章から八章 (山内玲・島貫香代子・高野泰志) でフォークナーとヘミングウェイという巨大な小説家を再読し, それ以後の現代作家ホークス, バース, パワーズに九章 (吉田恭子) と最終章 (伊藤聡子) で論及する。 どの章も作品の深みに届く秀逸な批評であるが, 紙面の関係上, 数篇を紹介するにとどめる。
 丹羽のホーソーン論は, ユートピアな家族の描写が家庭の不在というディストピアな原風景を映し出す逆説を浮き彫りにする。 福岡のメルヴィル論は, 貧困のテーマを 19 世紀前半の資本主義的市場経済への移行に伴う社会格差の文脈で捉え, 貧者たちの多様な声に社会への抗議と存在認識の切望を読み込む。 メディアを通じたリンチ表象の全国的拡大に着目する山内は, フォークナーの 『八月の光』 におけるリンチ場面を南部を越境する国家の記憶として読み解く。 また高野は, カトリックに改宗したヘミングウェイの信仰の変遷を精査し, 「最後のすばらしい場所」 を原罪/実父が支配するピューリタニズムの反救済を描いた短篇として位置づける。 さらに吉田は, ホークスによる実験的作文授業とバースによる自作朗読授業を考察し, 創作教育の理想に潜む白い声に調律される反動性に切り込んでいる。
 こうした論考から浮かび上がるのは, 「夢」 と現実の裂け目から生起する個人の不気味な呻きと文明の不穏な軋みを言語化する文学の強靭な営みである。 女性作家や人種的/性的少数派作家は, アメリカに内在する 「悪夢」 の複層性を明示するとともに, 男性/白人/異性愛者の 「悪夢」 への嘆きも相対化する。 しかし総じて, 理想と現実のあわいに身を投じ, 社会や文化と対峙・格闘する文学者の生の痕跡が, 米国の過去と現在を照射し, その混迷と希求を刻印し続けることは間違いない。
竹内理矢 (立教大学・講)


依藤道夫 編 
小倉いずみ・古屋 功・依藤朝子・瀧口美佳・花田 愛 著
『アメリカ文学と戦争』

(成美堂, 2009 年, 3,300 円)
 現在, アメリカ文学研究では 「戦間期」 や 「冷戦」 といった枠組みで 「戦争文学」 を読み直す動きが盛んである。 そのような中で出された本書は, アメリカ文学全般における戦争表象を包括的に論じており, 大変時宜を得ている。 本書の最大の特色は, 初学者にも十分に配慮された章立てにある。 時代順に配置された全 12 章のうち, 奇数章では, 植民地時代から 20 世紀後半までの時代毎に起きた主な戦争に関する歴史的・文学的背景が概論的に語られ, 偶数章では, 各々の時代を代表する 1, 2 作を通して戦争の文学的表象が具体的に分析される。 概論と各論が交互に並んだ本書は, 一冊でアメリカ戦争史と文学史と作品解釈の三つを学べる親切設計なのだ。
 以下, 各論にあたる偶数章の内容を紹介する。 まず, 小倉いずみ氏による第 2 章では, アンダーヒルの 『アメリカからのニュース』 でのピーコット戦争の記述が論じられており, ネイティヴ・アメリカンと入植者の対立だけでなく, イギリスとオランダという植民勢力の拮抗の様子が明らかにされる。 白人とネイティヴ・アメリカンの対立の構図は, 瀧口美佳氏による第 4 章でも取り上げられるが, ここではクーパーの 『モヒカン族の最後』 を中心に扱うことによって, 入植者/先住民の線引きの難しさが示される。 南北戦争を担当する依藤道夫氏による第 6 章では, フォークナーの 『アブサロム, アブサロム!』 の各セクションにおける南北戦争の言及の回数が一覧表にされ, 「敗戦」 という状況が何を意味するかが問われる。 花田愛氏による第 8 章では, 第一次世界大戦を題材としたドス・パソスの小説群に注目し, そこで描かれる下級兵士たちが, ヒーローにもアンチ・ヒーローにもなりきれないという中途半端な立場により, 現代にもあてはまるポストモダン的人物像であることが指摘される。 古屋功氏による第 10 章では, 太平洋戦争に兵士として日本軍と戦ったことのあるノーマン・メイラーが, 自身と日本との深い関わりを通して代表作 『裸者と死者』 を執筆するに至った経緯, および作品内に示される自然との共生のあり方が論じられる。 依藤朝子氏による第 12 章では, トーランドの手記における朝鮮戦争およびオブライエンの 『カチアートを追跡して』 におけるベトナム戦争の表象が取り上げられる。 前者は小説的語りを織り交ぜて朝鮮戦争を活写したノンフィクションであるのに対し, 後者はマジカル・リアリズム的手法を通してベトナム戦争での兵士たちの苦悩を幻想的に描出していることが指摘される。
 本書では, 執筆者全員が, 勝者と敗者の境界線の曖昧さを示唆しており, いずれも説得力に満ちた論考となっている。 あえて気になる点を言えば, アジア系やアフリカ系といった非白人系作家たちによる戦争表象が触れられていないことだろうか。 とはいえ, ここまで丁寧にアメリカ文学と戦争の全体像を教えてくれる邦語文献はめったにない。 今後このトピックでアメリカ文学を論じようとする際にはつねに手元に置いておきたい本だ。  
小林久美子 (日本学術振興会特別研究員)


有賀夏紀・小桧山ルイ 編著
『アメリカ・ジェンダー史研究入門』
(青木書店, 2010 年, 3,675 円)

 本書は, 1990 年代以降, 日本で成果が蓄積されてきたアメリカ女性史における個別の研究を相互に関連させ, アメリカ女性史の全体像として提示することを目的として編まれている。 本書の執筆者は社会史の視点から, 1970 年代以降アメリカの女性史研究の主流となり, 後に批判の対象にもなった 「女性の領域 (白人中産階級の女性を対象にした歴史研究の中から生まれた, 家庭を中心とする女性の生活の場を指し示す概念)」 論に収まらない女性の歴史を記述した。 本書が全体で示唆するのは, 女性という集団内部の多様な歴史的経験を, 人種・民族, 階級, 性的志向などの差異が入り組んだより広範な支配関係の中に位置づけるという新しい視点である。
 例えば, 第一次世界大戦時に中産階級の白人女性活動家が 「健全」 な白人兵専用娯楽施設を設置して軍需産業に従事する若い女性労働者の性道徳をコントロールし, 一方で黒人女性活動家は逸脱的セクシャリティという偏見からの保護を目的として黒人兵と黒人女性労働者に対し慰安施設を提供した。 両者の愛国的な戦争協力活動は, 実は相容れない動機に因っていただけでなく, 人種隔離によって白人兵と黒人兵の利用が規定されていた兵士用慰安施設のカラーラインをさらに強化した。 (第 9 章)
 また, 女性の雇用が急速に拡大した第二次世界大戦時に 「リヴェット工ロージー」 と総称された女性労働者の仕事は, 人種によって職種が細分化されていただけでなく, 女性労働者のセクシャリティを危険視し, 異性の異人種間接触を恐れる経営者や監督者によって男女の仕事が分離, 差異化され, 序列化が図られていた。 銃後に留まる男性労働者の男性性の強調と維持を重視する造船所内のジェンダー秩序の再編成は, 女性労働者の仕事の人種別細分化や序列化と密接に関連しながら進行した。 (第 11 章) このように, 女性史研究に新しい切り口を開いたジェンダー史研究は集団内の個々の関係性を明らかにし, それらを包括的に提示するだけでなく, ジェンダー秩序を基礎とするアメリカ多文化主義社会の生成を歴史的に検証することを可能にした。
 13 の章と 9 つのコラムで構成された本書の特徴は, 各章では執筆者の得意分野でなされた濃密な研究調査に基づく議論が展開され, コラムでは時代背景を理解する上で重要なトピックが丁寧に説明されている点にある。 それぞれに今後の研究課題や展望が示されているため, 読者は研究テーマを探す際のヒントを得ることができる。 また, (アメリカ・ジェンダー史の起源はいつかという疑問はあるにしても) 巻末に付けられた 1400 年 B.C.から 2009 年に亘る年表は有益である。
 ジェンダー史を通してアメリカの歴史を読み解く日本のアメリカ・ジェンダー史研究は本書によって緒に就いた。 男性を含む 22 名の執筆者が本書で示したように, アメリカ史研究の新しい方向性は確実に研究者間の新たなネットワークを推進させ, 時代のうねりとなる。
安田こずえ (東京大学・院)

2011年03月29日 | アメリカ学会会報