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会報168号(巻頭言)

「希望, 変革, そして現実」
大津留 (北川) 智恵子 

 昨年 10 月にワシントンで在外研究を始めたときは, まさかこれほど熱心に大統領選挙の行方を追いかけることになるとは思ってもいなかった。 ブッシュ政権への支持は下がる一方で, 民主党の候補はヒラリー・クリントンが確実だろうという雰囲気の中, 初めての女性大統領の誕生という筋書きが展開するのを見物するくらいの気分だった。 その筋書きが揺らぎ始めたという感触を得たのが, 10 月末のフィラデルフィアでの民主党討論会で, 1 月のニューハンプシャー予備選の前日には, これで終わってしまうのかという何とも言いがたい感傷に, ヒラリーとともに浸っていたのを思い出す。
 クリントンの選挙戦が 1990 年代の実績を掲げることで, 当時の党派的対立という苦い記憶を呼び起こしただけでなく, メディアにも厳しく吟味された一方, 変革を掲げたオバマの選挙戦は, 若い人たちを中心に従来の政治とは違うものへの希望を抱かせ, メッセージに具体性がないにも関わらず, メディアやネット上で追い風が形成されていった。 希望を持つことそのものを否定することは難しく, 気がつくと民主党候補の誰もが, 競って変革への希望を掻き立てていた。
 アイデンティティは争点にしない, というのがクリントンとオバマの合意であり, 実際, オバマは特定の人種・エスニシティという枠組みを超越した, これからのアメリカを象徴する存在として, 高学歴・高所得の白人リベラルの理想を体現していた。 しかし, アフリカ系あるいは女性の大統領が生まれることは, 理念が踏みにじられてきた過去と訣別するという, アメリカにとって非常に大きな意味をもつ契機であり, 候補のアイデンティティを全く除外して選挙戦を展開することには無理があった。
 中でも, ジェンダーの問題が人びとの価値観によって左右され, 何が差別なのかの線引きが確定していないのに対し, 人種差別は明らかな誤りであり, アメリカが何としても克服したい過去であった。 アフリカ系大統領が生まれることで新しいアメリカが生まれるのではないか, という漠然とした期待が, アメリカを理想化して描かせていたように思える。
 ところが, アイデンティティはプラスにもマイナスにも働き得る。 アメリカの理念を実現するための選挙戦は, 同時にアメリカの矛盾をさらけ出す機会でもあった。 日本ではおおよそ公言が憚られるであろう 「教育程度と所得の低い」 人びとという分類が, メディアによって当然のごとく用いられ, その分類に属する白人が内心抱く人種差別意識を, クリントン陣営が自らの勝利のために掻き立てる形となった予備選挙の展開は, 直視するにはあまりに辛いものであった。 心の中に押し込められた人種差別感情は, オバマの勝利が確定した後も政策や経験に対する不信感に名を変えて, 表明され続けていたと言えよう。
 クリントンがジェンダー差別のせいで敗北したかどうかは議論が分かれるところだが, アメリカ社会にジェンダー差別が確かに存在することは, 思いがけない展開から明白になった。 マッケイン陣営が, 宗教保守とクリントン支持者の票を得ようとして, ペイリン・アラスカ州知事を副大統領候補に選ぶと, 本来はジェンダー差別を批判する立場のリベラル派からも, 乳児を抱えて激務をこなせるのかという, おおよそ男性候補にはなされない問いかけを受けた。 家族の価値を大切にし, 女性の社会進出には冷淡な宗教保守派が, それをジェンダー差別であると批判したことは, 何とも皮肉な役回りであった。 さらに, PTA から小さな市の市長を経て州知事となったペイリンの経歴が, 嘲笑的に扱われることもあったが, 親や夫の政治力を背景としない女性の場合, 男性とは政治家として歩む経路が異なることを学術的に検証してきたはずのリベラル派は, そうした嘲笑に批判の声を上げようとしなかった。
 このニューズレターが読まれるころには, 大統領選挙の決着はついている。 勝者が誰であれ, アフリカ系か女性のいずれかが初めてホワイトハウス入りをするという, アメリカにとって新たな歴史の 1 ページが繰られたことは確かである。 が, その過程において, 選挙に勝つという目的の前に理念が曲げられるという現実が存在したことは, 忘れられてはならないことであろう。
(関西大学)

2009年02月17日 | アメリカ学会会報