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会報166号(巻頭言)

「賽の河原の……」
竹 中 興 慈 

 久しぶりに体力勝負の 「仕事」 をしている。 ただ, この作業が 「仕事」 といえるかどうかははなはだ怪しい。 これをやってみないかと言ってくれた人からその後連絡がないので, 「業績」 として日の目を見ることもおそらくないだろう。 しかし, 私自身はいろいろな意味で, 面白がっているし, 充実感もある。 このような 「仕事」 は, これまで 3 回 (1984 年, 1995 年, 2007 年) やったことがあるが, 今回の英文リストはとりわけ難題だ。
 これまで作った黒人史関係の邦語文献リストは, 3 回目を除いてパソコンデータとしては残していなかったので全部再入力したが, これは時間さえあればできた。 難題はその先にあった。 私の大学で調査を始めて愕然とした。 製本する際, 大半のものが裏表紙を除去して合本されていたのだ。 各論文を読むには, 何ら支障はない。 しかし, ご承知のように英語表記がある場合は, たいてい裏表紙に書かれていたり, 時には表紙をめくった, 目次の前後に掲載されていたりする。 いただいた抜き刷りも, 英語表記はまずない。
 そこで, 急きょ国会図書館で 「仕事」 をすることにした。 ここでは, 裏表紙をつけたままだったのでほっとした。 1 度に 3 点, 夕方 6 時までに申し込んだものが閲覧できる。 検索・申し込み用モニターから雑誌カウンターまで約 18 メートル, カウンターからもっとも近い閲覧テーブルまで約 15 メートル, 閲覧テーブルからモニターまで約 19 メートル, およそ 1 周 52 メートル。 この 「魔」 の 3 角形を 1 日中繰り返す長期戦を覚悟。 カウンターから直近マイクロリーダーまで, 約 24 メートル, カウンター前の椅子で出庫を待つこともしばしば。 雑誌の場合 「できるだけ多く」 という選択をすると, 6 冊まで出してもらえる。 ただ, 古いところはリストに載っていないので, 1 冊に何年間分が合本されているかは, 事前にはわからない。 急ぎすぎると体力を消耗するので, ゆっくり歩く。 しかし, 返却カウンターの係の方は, 何度も行く私に気を使って (と思う) 私がカウンターに着く前に手をさしのべてくれるので, 私もそれに応えるべく, 最後の 2, 3 歩は早足となり, リズムが乱れる。 「仕事」 も 3 日目ともなると, 向こうの方々も手渡すときの手順と思われる名前確認を省略することが多くなる。 こちらも毎回声を出してお礼を言う。 開架で, 自分で探すより, 確実に出庫していただけるからだ。 本当に有難い。
 こんな作業は東京に住んでいれば, 学生を使って短時間に効率よくできるだろう。 しかし, 自分で現物に当たることには喜びも多い。 その時代を彷彿とさせてくれたり, 恩師の一人が学生の頃住んでおられた下宿の住所がわかったりするという発見も。 こんな喜びを他人に渡してなるものか。 他の人には何の価値もないかもしれないけれど……。 こんな 「仕事」 でも何かお役に立つかもしれないと思った初日は 「お百度参り」 だったが, 1 週間もやっていると 「賽の河原の石積み」 に思えてきた。
 おかげでわかったのは, 戦後初期のものは酸性紙問題そのもので, 「別室閲覧・禁複写」 が多く, まだマイクロ化されていないものも多いこと。 検索でヒットが難しいのは, 私大, 短大の紀要, 何とか記念号 (これは検索方法のまずさもあろう)。 英語表記がないのは, 週刊誌, 月刊誌等の雑誌。 単行本にまったく英語表記がないということは, 問題だろう。 他方, 学術雑誌は古いものでもちゃんと英語表記のあることが多く, 感激。 まれに, 同一人物なのに号によって名前の読み方が異なることも。 タイトルに見事な工夫がなされているもの, 省略しすぎて内容が判りにくいもの, 説明調で長いもの, 邦語タイトルにある副題が, 英語表記にはないもの等々さまざまだ。 今頃になって昔々の英語表記をチェックする変な奴が出てこようとは, 著者たちは想像もしていなかったに違いないと思うと, いささか申し訳ない気もする。
(東北大学)

2008年04月13日 | アメリカ学会会報