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会報164号
巻頭言を以下に掲載いたします。
冷戦期の W.E.B.デュボイス
小林 憲二
歴史的に見てアメリカ黒人を代表する三人を列挙せよと言われたら, 多くの人がフレデリック・ダグラス (1818‐1895) と W.E.B.デュボイス (1868‐1963) とキング牧師 (1929‐1968) の名を挙げるのではなかろうか。 もちろん, 中にはデュボイスでなくブッカー・T. ワシントンないしはマーカス・ガーヴェイの名を口にする人がいるかもしれない。 米文学者なら, デュボイスに代わって, ダンバー (詩人) とかチェスナット (小説家), あるいは 「ハーレム・ルネッサンス期」 のラングストン・ヒューズやゾラ・N・ハーストンを持ってくる場合も考えられる。 いずれにせよ, デュボイスの業績との関連で対抗馬として名指しされる人物は, 十九世紀末から二十世紀初頭, ないしはせいぜい 1920 年代から 30 年代に活躍した人たちということになるだろう。
つまり, デュボイスと言えば, 『黒人のたましい』 (1903 年) の出版, さらには 1905 年のナイアガラ運動と 1910 年の 「全国黒人向上協会」 (NAACP) の成立とその機関紙 Crisis の編集主幹だった事実と結びつけて考えられるのが通り相場で, あとは公民権運動期におけるワシントン大行進 (1963 年 8 月 28 日) の際の演壇から, その前日 (27 日) にアフリカの共和国ガーナで死去したということと共に, 当時の NAACP 事務局長ロイ・ウィルキンズが, 「後年は別の道を選んだが, 二十世紀初頭には」 黒人運動を代弁する人物だったと顕彰していたことなどが知られる程度である。
だが, こうしたデュボイスの生涯と業績の括り方の中には, 自由と民主主義を標榜しながら国の内外で 「軍拡競争と帝国主義と人種差別主義」 に連なる施策を行なっていたとして, デュボイスが 「冷戦期アメリカ」 とりわけトルーマンとアイゼンハワー両政権と対峙した時期の営為を押し隠そうとする, ある種の 「歴史的作為」 への無意識の加担があると言わざるをえない。 その端的な例証が先のロイ・ウィルキンズの発言だろう。 彼はデュボイスの後年が NAACP と 「別の道」 だったと公言し, 黒人運動への貢献を二十世紀初頭に限定する。 これは NAACP が冷戦期アメリカで 「時の政権」 に寄り添いながら, 「赤狩り」 に加担していた自らの 「穏健路線」 に頬被りし, 1934 年と 48 年の二度にわたりデュボイスを組織から 「辞職」 と 「除名」 へ追い込んだ事実とまさに裏腹の関係にある発言でしかない。
後期のデュボイス, とりわけ第二次大戦後の二十年間に目を向けたとき, その営為と影響力には瞠目すべきものがある。 その点で, 「マッカーシズム」 に翻弄されていた当時の 「リベラル」 とは異なっている。 この時期のデュボイスの活動は, 大別して三つに分けることができるように思う。 一つ目は朝鮮戦争や核実験に反対する 「平和活動」 で, ストックホルム・アピールに応じて全米で 250 万人の署名を集めている。 二つ目は, その学識と汎アフリカ会議などを通じて行使したアフリカ諸国の独立に対する貢献である。 デュボイスへの恩恵を口にするアフリカの指導者は, ガーナのエンクルマやナイジェリアのアジキウェだけにとどまらない。 近年開示されたデュボイスに関する CIA などの膨大な秘密文書が, そのことを雄弁に物語っている。 三つ目は, 公民権運動への直接的な影響力で, ローザ・パークスやキング牧師などが NAACP と異なる 「ラディカルな政治勢力」 から生まれたという事実は, 日本でもっと研究されてしかるべきだろう。 その意味で, デュボイスの全貌を説き明かす 『自伝』 などの翻訳が待たれる。
(立教大学)
2007年08月21日 | アメリカ学会会報
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