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会報164号
新刊紹介を以下に掲載いたします。
上杉忍・巽孝之 編著
『シリーズ・アメリカ研究の越境 第 1 巻 アメリカの文明と自画像』
(ミネルヴァ書房, 2006 年, 3,500 円)
本書は 「シリーズ・アメリカ研究の越境」 の第一巻として 「アメリカ論の総論とも言うべき」 「アメリカの文明と自画像」 を提示する試みと, 序文に定義されている。
提示するにあたり, 11 編の論文を三部に分け, 序章と終章を加えている。 第一部は 6 名の執筆者により, 「アメリカ」 という自画像を形成してきた 「統合の論理としての伝統的アメリカ文明論」 が様々な角度から論じられる。 第二部は多元主義を一つのキーワードに, 3 名の執筆者が 「アメリカ」 への 「統合の対象とされた人々の主体性」 に配慮し, アメリカの自画像の広がり論じる。 第三部ではそれぞれ, フランスとアラブという 「鏡」 に映ったアメリカ像を紹介する。
自画像を描く行為は, ある意味でアイデンティティを求める姿と通じ合う。 しかし自画像はあくまでも肖像画の一種である以上, 見る人のために提示する点に特徴があるだろう。 つまり,自分の本当の姿の追及ではなく, 外に見せる姿としてのアメリカだ。 その意味で, 「輸出可能な」 「理念としての」 「アメリカ」, 「教育すべき」 「アメリカ」 の創出が, 時代と天才によっていかに行われていったかを論じる宮本論文は, いわば 「アメリカ」 という自画像を, アメリカ人が模索しないではいられなかった一つの時代を鮮やかに切り取ってみせる。 家族に注目し, 「アメリカによる日本のジェンダーへのまなざし」 が 「アメリカの自画像をあぶりだしてきた」 ことを論じる高橋論文は, アメリカ人が他者を媒介に描く自画像に潜む問題点を指摘する。 マイノリティの自画像が, マイノリティとしての 「固定観念を打ち壊す」 様を論じる新田論文は, ハーストンの自伝を論じる時, とても説得力を持つ。 対照的なアラブ知識人のアメリカへの反応を紹介する池内論文は, 特にクトゥブの生々しい肉声を紹介する時, アメリカ人の思い描く自画像が, 異文化のレンズを通して歪む時に垣間見せるおぞましい姿を伝えている。 南部の自虐的史観と文学の関係を論じる後藤論文も,自画像ならではの歪みと, 歪みに潜む力を指摘する。
「何かを語ることは, ほとんど不可能である」 (上杉) アメリカは, 本書に収められた 11 編の論文を持ってしても群盲象をなでるがごときである点は否めない。 しかし, 11 篇の論文が, 互いに照応しながら照らし出す道筋を読み込むのは, 案外楽しい行為に思えてくる。 個人的な興味に即して述べれば, ソドムと化したイギリスを逃れ 「丘の上の町」 建設を目指したウインスロップ自身が, 実はソドミーに繋がりうる自らの欲望を振り捨てアメリカに渡ってきた。 その彼の自己欺瞞を出発点におけば, 森本論文から, ロレンスを紹介する宇野論文, さらには前川論文を経て, 高橋論文, 宮本論文への道筋が見えてくる。 もちろん, 例えば中野論文と宮本論文が照らし出す特定の時代性なども興味深い。 様々な読み方からアメリカを考えさせる一冊である。
本合陽 (東京女子大学)
紀平英作・油井大三郎 編著
『シリーズ・アメリカ研究の越境 第 5 巻 グローバリゼーションと帝国』
(ミネルヴァ書房, 2006 年, 3,500 円)
本書は 『シリーズ・アメリカ研究の越境』 の第 5 巻である。 アメリカ合衆国は拡大しつつ質・規模共に世界史上これまで例のない新しい帝国を形作ってきたという理解から, その膨張を, 文化, 科学技術, 更には戦争観といった様々な角度から検討しているのが本巻である。 20 世紀後半までの合衆国を 「帝国的構えをとる国民国家」 と捉え, それ以降に始まるグローバリゼーションによる国民国家構造の変容にも目配りしつつ, その過程で今日の合衆国が 「国民国家としての内なる枠組みを腐食させ, 文字通り帝国化しつつあるのではないか」 と問題提起するのが本書の立場である。
具体的構成としては, 建国期から今日までの時期が 4 期に分けられ論じられている。 第 I 部 「ヨーロッパの膨張とアメリカ合衆国の起源」 では, 世界システムや建国の父祖たちの 「帝国」 認識, 奴隷制や先住民政策を通じて, 合衆国の成り立ちの時期が描き出される。 第 II 部 「文化の越境と融合」 は, アメリカ文化と世界との関わりを, 東アジアへのアメリカ人宣教師の布教活動やフォークナーの世界を通して分析している。 中でも第五章は, ハリウッド映画の日本での受容を通して, これまで単純に捉えられがちであった文化受容の複雑な過程を簡潔にわかりやすく提示しており読ませる。 第 III 部 「戦争とアメリカニズム」 では, 正戦論や敗戦体験などを通してアメリカと戦争との関係が論じられている。 第七章は, 合衆国が戦争を肯定的に捉える状況をいかにして生み出していったか, その背景にある理念や意識を独立以来今日に至るまで考察している。 第八章は, 第二次大戦を扱う従来のジェンダー研究の多くが女性の戦争経験を女性史的に分析するものであったのに対し, 男性の戦争経験をもジェンダーを用いて分析している点, またジェンダーのみに特化せずセクシュアリティや人種といった他の社会的カテゴリーとの相互関係において戦争とジェンダーの複雑な関係を総合的に検討した点が特筆に価する。 第 IV 部 「グローバリゼーション時代のアメリカ合衆国」 は, 20 世紀末以降様々な領域で急速に進むグローバリゼーションと合衆国の関わりを, 貿易や金融などの自由化の動きやインターネットの国際規格の形成過程などを材料に分析している。 最終章である第十二章は, 冷戦終結後の合衆国の対外認識に見られる二つの特徴を軸に論じ, 今日の世界と合衆国との関係を読み解く見取り図を与えてくれる。
紙幅の関係で一部にしか触れることが出来なかったが, いずれも示唆に富む力作揃いである。 多様な論考を集めたにも関わらず, 全体として引き締まった書物に仕上がっているのは, 本書の意図や意義をまとめつつ, 将来まで見通した, 編者による 「序章」 と 「終章」 に挟まれているところが大きい。 この種の書物にしては価格が抑えられているのもありがたく, より多くの読者にアメリカ研究の最前線が伝わることが期待される。
廣部泉 (北海道大学)
小林憲二 編著
『変容するアメリカ研究のいま──文学・表象・文化をめぐって』
(彩流社, 2007 年, 3,500 円)
編著者である小林憲二氏は, 言うまでもなく, 黒人文学を中心とするアメリカの多文化主義に関する屈指の論客として, 日本におけるアメリカ文学研究・教育を牽引して来られた。 本書序文には, 氏が所長として携わった立教大学アメリカ研究所を中心とした今後の研究プロジェクトの青写真とともに, 小林氏自身の立身の物語, 特に苦学生であられた折の私的な述懐の一端も吐露されており, 氏を突き動かしてきた文学研究にかける血しぶくまでの情熱, その温度までも感じられる思いがした。
本書は, その小林氏をプロジェクト・リーダーとする遠大な研究計画の記念すべき第一歩である。 歴史・思想, 文学, 演劇 (文化 1), 音楽・映画 (文化 2) というポリフォニックな四部構成の中で, 17 人の気鋭の執筆者がそれぞれに最新の情報・研究成果を惜しみなく注ぎつつ斬新な批評視座を提示する, 非常に読み応えある論文集となっている。 いずれも, 19 世紀・20 世紀を通して世界潮流の覇権を握ろうとしてきた<アメリカという現象>を, 人種・ジェンダー・階級における他者の観点から今一度逆照射し, 批判的に読み直す試みである。
扱われているテーマは, 英語圏文学論 (ブック・クラブ文学, モリスン, ダンバーオーティーズ, ハイチ系作家チャンシー及びダンティカ), アメリカ文学論 (ポー, チャールズ・ブロックデン・ブラウン, ホーソーン, メルヴィル, ホイットマン), アメリカ表象論 (ジョン・フォード監督騎兵隊 3 部作, 『マトリックス』 3 部作, 『模倣の人生』, オーガスト・ウィルソン連作史劇), アメリカ文化論 (ライト兄弟神話, パリ万博 「黒人展示会」, バス・ボイコット運動, 先住民社会のベルダーシュの伝統) と, 多岐に渡る。 黒人文化論を追いかける書評者としては, バス・ボイコット運動の引き金となったローザ・パークス事件, そして W.E.B.デュボイスによる 「ジョージアの黒人アルバム」 が取り上げられ, 行為の主体をパフォーマティブに生み出す<現象>の好例として, 大胆かつ鮮やかに再肯定されていることに心強さを感じた。 かつてトマス・W・ヒギンスンは, 黒人霊歌を評して 「暗黒の土地に育つ驚異の花」 と呼んだが, これらの<現象>に見出されるのもまた, ディアスポラとしての軋轢ゆえに期せずして咲き出でた, 奇しき創造性といえるだろう。 これもまた, アメリカ的現象に違いないのだ。
荒このみ氏はサイードに言及しつつ, 文化的・社会的・政治的な 「アウト・オブ・プレイス (場違い・ずれ)」 の感覚の強みについて触れている。 アメリカという国において 「アウト・オブ・プレイス」 であるという感覚は, 違和感でもあり, 同時に膠着した現在に穴をうがち, あり得べくもない未来像を自由に生成していく肯定的なエネルギーとしても機能しうる。 <アメリカという現象>を読み直すこの一大プロジェクトが, まさにそうした磁場から新たな可能性を提示してくれることを期待する。
中山麻衣子 (愛知県立大学・非)
花岡 秀 編著
『神話のスパイラル──アメリカ文学と銃』
(英宝社, 2007 年, 2,800 円)
アメリカは 「銃社会」 などといわれる。 それは 「困ったことだ」 という文脈で語られるのが, 少なくとも我が国では一般的であり, 編者による 「あとがき」 にも 「凶悪犯罪, 無差別殺人, 悲惨な事件が跡を絶たない現状にもかかわらず」 の文言が見えるので, この本もいったんはそうした力線上に全体的文脈を配するのに違いない。
しかし, 同じく 「あとがき」 によれば, こうした一般的な理解をまずは踏まえつつ, 「想像力が縦横にその魔力を発揮するさまざまなテクストの中に描き込まれた銃が, 多様な 『アメリカの神話』 をスパイラル状に巻き込みながら重層的な象徴性を帯び, 屈折しながら変容を繰り返してきたアメリカそのものと怪しく重なり合うことを明らかに」 するとある。 「スパイラル」 には, ライフルなどの銃身の内側に刻み込まれる螺旋溝が想定されているに違いないが, こうした想定のあり方そのものにこの本全体の確信犯的意図はある。 「銃のなくならない社会は困ったものだ」 という大衆的感懐は, 「アメリカそのものがどこか銃的である」 というほとんどポエティックなテーゼとして, 「怪しく」 読み直され語りなおされる。 決して銃自体が孕むまがまがしい殺傷力の魔力ではなく, 銃に取り憑かれたアメリカの想像力という 「魔力」 こそがそれぞれの論者によって射程におさめられる。
編者自身による巻頭論文 「南部スモールタウンと銃」 は, フォークナー作品に登場する銃の弾道が, 南部史のあだ花として咲いた 「南部神話」 の輪郭を, 切り裂き, 震撼させ, あるいは 「スパイラル状に」 描き切る様を分析する。 中良子 「公民権運動ナラティヴにおける銃」 は, 歴史的な銃殺事件を扱った公民権運動期のフィクションやノンフィクションにおいて, 表象としての銃が 「歴史とナラティヴの共犯関係」 を逆照射すると論ずる。 貴志雅之 「帝国支配の記号学」 は, 銃を (ポスト) コロニアルな支配の一表象としてとらえ, 20 世紀アメリカを貫通する問題劇群のテクストにその変奏を見出す。 辻本庸子 「女たちの一撃」 では, 銃は女たちの手に渡り, 文学世界の内外で放ったそれぞれ画期的な一撃が, アメリカ社会の男性支配構造にいかなる弾道を残したかを語る。 末尾の渡辺克昭 「蘇る標的」 はポストモダン作家ドン・デリーロの文学を射程に据え, 「撃つシューティング」 から 「写すシューティング」 へ, 「銃弾ブレット」 から 「錠剤タブレット」 へ, 銃をめぐる言説をそれこそポストモダン的変幻自在さで解析してみせる。
銃で人を撃ち殺すのと, ナイフで人を抉り殺すのと, その違いは対象との物理的かつ精神的な距離, 生々しさの差である。 しかし, アメリカ的想像力における銃の親和性は, いつの間にか銃を抉り殺し, 縊り殺す道具へ昇華してしまっているのかもしれない。 ここに集った論は, いずれも対象を抉りそして縊る肉薄性をたたえている。
後藤和彦 (立教大学)
生井英考 著
『興亡の世界史 第 19 巻
空の帝国 アメリカの 20 世紀』
(講談社, 2006 年, 2,300 円)
本書は, 「空」 の文化とイメージを軸に, 20 世紀におけるアメリカ合衆国の変容を通史的に解き明かそうという意欲的な試みである。 1903 年のライト兄弟の初飛行成功から一世紀, 空と航空の歴史の見直しは近年顕著に行なわれつつある。 主要かつ個別の航空関連研究分野としては, (1) 航空の技術革新, (2) 民間航空と航空行政, (3) 航空戦略, そして (4) アメリカにおける航空のイマジネーションが挙げられよう。 本書はこれらすべてに目を配りつつも, その議論の中心は (3) と (4), すなわち 20 世紀という 「アメリカの世紀」 における 「戦争」 と 「空」 の文化のつながりを明らかにしようとするものである。
周知のように著者は, ヴェトナム戦争をめぐる文化とイメージを描き出した 『ジャングル・クルーズにうってつけの日』 (1987 年, 2000 年 [新版]), そしてヴェトナム戦争の経験, 記憶から歴史化のプロセスを詳述した 『負けた戦争の記憶』 (2000 年) を上梓してきた。 これらの成果と本書はそれぞれ独立した著書であるが, これらにはアメリカ社会と文化がいかに戦争に影響を受け, 逆にその社会と文化がアメリカの戦争のありかたを規定してきたのかという難題に取り組む著者の透徹したまなざしが反映されている。
かのスタインベックが戦争協力のために書いた文章 (駄作!) を軸に, 航空に対するアメリカ人の素朴な熱意ともいえる民衆文化が, 軍事大国化へとつながってゆくのかを読み解く鍵を示したプロローグ, 1 章から 3 章は飛行機発明という初期的段階から第一次大戦を経て 1930 年代に至る民衆文化の中の航空について, 4 章から 6 章は, 第二次世界大戦期における軍事航空超大国化と原爆投下の意味を議論し, 7 章では冷戦期の民間航空と空軍の位置づけ, 8 章ではヴェトナム戦争を取り上げ, 9 章ではレーガン政権期の戦略の転換から湾岸戦争, コソボ空爆の実践について考察し, 10 章では 9.11 に関する 「憂鬱な真実」 を描き, そして航空をめぐる日米の因果関係の再考を促すエピローグから本書は構成されている。 さらに本書は, 著者の専門である文化史のアプローチや図像や写真に関する解釈を随所に織りこみ, また文学作品や映画の紹介など読み応えのある考察を示している。
最後に, 本書は, 講談社 「興亡の世界史」 シリーズの最終部分である 20 世紀を網羅的に取り上げるという難しい時代設定を担っており, 「興」 となる前半部分の論述の鮮やかさと比較すると, 「亡」 に位置せざるをえない後半部分, とくに 9 章については大統領を議論の中心とするやや平板な叙述の印象を受けた。 しかしこの時期については今後の歴史分析が待たれる時期であり, 本書の意義を損なうものでは決してない。 本書の描く 20 世紀のアメリカの戦争と 「空」 の文化は, エノラゲイ論争やアメリカの戦争観をより深く理解する鍵である。 それゆえ, 研究者や学生のみならず広く一般に読まれることを期待したい。
高田馨里 (明治大学)
鵜月裕典 著
『不実な父親・抗う子供たち──19 世紀アメリカによる強制移住政策とインディアン』
(木鐸社, 2007 年, 3,500 円)
本書は, 長年に亘ってアメリカ先住民政策史研究に取り組んできた著者の先住民強制移住政策に関する研究をまとめたものである。 巻末には, 著者自身によって訳出された強制移住に関連する法令などの参考資料も付されている。
建国から 19 世紀の半ばにかけて急速に領土を膨張させたアメリカは, 新たに自国領に組み込んだ土地に居住していた先住民をどのように処遇するかという難問を抱えることになった。 しかし 1803 年にルイジアナが購入されると, その解決策として先住民の同地への移住が提唱されるようになり, 1830 年には強制移住法も制定され, ついに 1830 年代から 40 年代にかけて, ミシシッピ川以東に居住していた 10 万人もの先住民が, 軍隊に追い立てられながら同川以西のインディアン・テリトリーへと移住させられることになった。
この悲劇の歴史的な意味については, すでにあまたの研究が検討を加えているが, 著者はそれらが展開する議論には問題点もあると指摘する。 それは著者によれば, 強制移住政策が持つ 「抑圧的, 侵略的性格を告発することに力点をおいてきた」 従来の研究の多くが, 先住民の強制移住を推し進めた 「連邦政府を含めた白人側の動機を土地奪取要求として一元化してしまい, 政策決定者から一般の開拓民にいたる多様な人びとの言動を露骨な 『強欲』 の表明以外は, 『偽善的な言動』 ないしは 『強欲』 の合理化として先験的に検討対象から除外し・・・強制移住をめぐる諸問題を, 土地奪取という経済的欲求に収斂させて解釈する傾向」 を持つという点である。 そう指摘した上で著者は, 強制移住を, ただ単に空間的排除による先住民からの土地奪取という視点からのみ捉えるのではなく, 先住民の隔離と文明化によるアメリカ社会への統合の試みとしても検討すること, さらにはそのような連邦政府や白人社会の働きかけに対して先住民がどのように対応したかを明らかにすることが, 強制移住という問題の全体像を把握する上では不可欠だと主張する。 実際に著者は本書において, まず連邦政府の先住民政策について, 特に強制移住政策以前から提唱されていた先住民文明化政策と強制移住政策の関係に焦点を当てながら論じ (1 章, 補章), その上で連邦政府が移住先で先住民をどのように処遇しようとしていたのか明らかにするために, それに関連する立法や連邦議会における 「インディアン領地構想」 をめぐる議論, 或いは移住先における文明化政策の進捗状況について検討を加え (2 章, 3 章, 6 章), その一方で強制移住政策に対する先住民側の対応についても解説を試みている (4 章, 5 章)。
著者自身が言及している通り, 先住民側の対応については, 個々の部族についてのさらなる検討が必要であるものの, 本書は強制移住政策の持つ多面性を理解する上で必読の書であることは間違いない。 また本書が提示している先住民のアメリカ社会への統合という問題は決して過去のものではなく, その点から言えば, 今日のアメリカ先住民に関心を持つ人々にも, ぜひ一読を薦めたい一冊である。
佐藤 円 (大妻女子大学)
豊田真穂 著
『占領下の女性労働改革──保護と平等をめぐって』
(勁草書房, 2007 年, 3,465 円)
占領期にアメリカの女性が日本で何をし, それを日本人がどのように受け止めたか──これはここ 10 年来, アメリカ女性史の分野で成果が出ることが待ち望まれてきたテーマである。 いうまでもなく, 占領期はアメリカ合衆国と日本が最も接近し, 前者が後者に対して最も大きな権力を持っていた時期で, 現代に直接与えた影響も大きい。 昨今アメリカで求められているアメリカ史やアメリカ研究の 「国際化」 の要求に応えうるテーマでもある。 占領期の研究蓄積は多いが, 女性に関するそれはアメリカでも日本でも限られている。 本書は待望の研究成果の一つである。
女性に関わる占領政策の中で本書が注目するのは, タイトルが示すように, 女性労働にかかる改革である。 第一章では, 第二次世界大戦以前の日米の女性労働保護の歴史を概観する。 第二章では, 戦中の日本における女性の労働参加の状況を説明した上で, 労働諮問委員会が 「最終報告書」 でそれをどのように評価したかを概観し, また, GHQ/SCAP のスタッフの略歴が紹介されている。 第三章は, 日米双方の資料を使いながら, 労働基準法の立案・制定・施行過程を丹念に追い, そこに平等と保護の思想がどのように盛り込まれていったかが明らかにされる。 第四章では, 労働省婦人少年局が, 平等と保護の思想の矛盾を抱え込みながら設立されていった過程が明らかにされる。 第 5 章は, 労働組合において, 女性の組織率が 1950 年から急速に落ち込み, 組合婦人部の廃止が相次いだ理由を, 多面的に探ろうとする試みである。
著者は, 日米に残る一次資料に丹念にあたり, 占領期の女性労働改革の立案, 実施過程を, 既存の研究で成された以上に細かく明らかにした。 日本において, 革新主義の流れをくむ, ニューディール左派の影響下で, 女性労働者保護政策が次々に導入されたことは, 従来, 占領が実現した輝かしい成果とされる傾向があったが, それによって解雇の憂き目にあい, かえって不利益を被った女性労働者がいたことなどが指摘されている。 また, これらの政策は日米の 「女性政策同盟」 のもとに達成された成果と描かれてきたことについても, 生理休暇の問題など, いくつかの細目について, 日米の女性指導者の間には見解の相違があったことも明らかにされている。 本書に掲載された写真は, GHQ/SCAP の一員であったミード・スミス氏とのインタヴューで著者が得たもので, 当時の SCAP 内の雰囲気を生き生きと伝える, 貴重な資料である。
占領期における女性労働改革に, 平等と保護の思想が混在し, 両者の間に揺れが存在したという, 本書の中心的主張は, 特別に新しいものではない。 だが著者はいくつかの有力な先行研究に言及しつつ, それらが参照していない資料を使うことで, 先行研究が打ち立ててきたテーマに果敢に挑んでいる。 結果として, 既知のテーマに対し, より微細な陰影を与え, 議論の複雑な有り様を示したと言える。
小檜山ルイ (東京女子大学)
長谷川毅 著
『暗闘──スターリン, トルーマンと日本降伏』
(中公論新社, 2006 年, 3,360 円)
本書は, 太平洋戦争の終結を米国, 日本, ソ連の国際関係史として描き出している。 ロシア史の専門家である著者は, これまで利用されてきた日本や米国の史料に加えて, 旧ソ連政府の史料を用いながら, 第二次世界大戦の終結に向って米ソの間に溝が広がりつつあったこと, 米国と日本の政策決定過程に 「ソ連要因」 が大きな影響を与えていたことを解明している。
1945 年 4 月からソ連軍が歯舞諸島を占領した 9 月上旬までの 5 ヶ月間に焦点を当てた本書が検討している問題は, 降伏にむけた日本国内の意見対立, 米国による日本の盗聴暗号解読が政策決定に与えた影響, 対日戦に向けたソ連政府の政策決定など, 多岐にわたる。 なかでも, 国際関係史という手法によって明確になった問題として, ソ連の対日参戦を中心に展開された米ソ間のつばぜり合いと, 日本の講和をめぐる日ソ間のやり取りの二つが注目される。
著者によれば, スターリンはヤルタ密約でソ連に与えられた権益を確保するために, 対日参戦の準備を進めていた。 これに対してトルーマン政権内には, ソ連参戦が戦後のアジアにおけるソ連の影響力を強めかねないという懸念が広がりつつあった。 しかしながら, ソ連の拡大をどのように防ぐのか, 米国政府内の意見はまとまらなかった。 一方では, グレー国務次官やスティムソン陸軍長官が, 日本に対する無条件降伏の要求を修正して速やかに戦争を終わらせようとした。 これに対してトルーマン大統領やバーンズ国務長官は, 開発されたばかりの原子爆弾によって戦争を終結させようとし, 原爆の利用を正当化するために無条件降伏の要求を貫いた。 しかし著者は, トルーマンの目論見が外れたことを, ソ連の史料を用いて明らかにしている。 原爆による戦争の終結を見越して意気消沈したスターリンは, 日本がただちには降伏しないと知ると対日参戦の日程を繰り上げ, 予定より 2 日早く宣戦を布告した。
日ソ関係については, 参戦を決めていたソ連の真意を見抜けず, 連合国との講和の斡旋を依頼した日本政府と, 日本の要請を利用して時間を稼いだソ連政府とのやり取りが, 日ソ双方の史料に依拠して生々しく描かれている。 ソ連の斡旋は当てに出来ないとして早期講和を主張した佐藤駐ソ大使らの声を無視して進められた対ソ交渉は, 現実性がなかったのみならず, 米国との真剣な対話を遅らせて戦争を長引かせてしまった。 著者は, ソ連政府の斡旋を 「過酷な現実から逃避する阿片」 (181 頁) と呼んで, ソ連を仲立ちに無条件降伏を回避しようとした日本政府の対応を厳しく批判するのである。
ソ連政府の視点を取り込んだ本書は, 太平洋戦争の終結を理解する上で不可欠な一冊といえるだろう。
倉科一希 (国際教養大学)
上村千賀子 著
『女性解放をめぐる占領政策』
(勁草書房, 2007 年, 3,300 円)
近年, 第二次世界大戦後のアメリカ軍占領下に行われた民主的諸改革の再検討が進み, 改変の動きも顕著になっている。 戦後改革がアメリカの押しつけであったというのがその有力な理由になっているが, 一方で, 戦前の日本に民主的改革の根があったとの指摘もある。 占領軍の民主化政策において重要な一環を占めていた 「女性解放」 政策に焦点を当てた本書は, 戦前からの男女平等を目指した民主化運動の連続的側面を重視しており, この論争のなかに位置づけるとすれば後者に入ると言えるだろう。
著者は, GHQ/SCAP の資料, 全米各地に保管されている政策担当者等の文書, 書簡, 日本側の政策担当者や女性指導者, 刊行された報告書やパンフレット, 日米の当事者にインタビューして得た著者独自の情報などに基づいて, 占領期の女性政策決定の過程, その背後にあった日米の思想や女性観を詳細に示し, この 30 年余りの間に発展した女性史研究の理論的枠組を用いて議論を進める。 多岐にわたる一次資料は議論を説得力あるものにし, またオリジナルな研究としての価値を高めている。
具体的政策としては, 女性選挙権行使, 労働省婦人少年局設立, 学校教育・女子高等教育・社会教育における男女共学をとりあげ, GHQ の提起した女性政策が 「女性の視点」 に立脚したものであり, その政策が占領軍の女性の政策担当者と日本の女性指導者との間に形成された日米女性の 「女性政策推進ネットワーク」 によって立案・実施されていったことを検証する。 この 「女性の視点」 と日米女性の 「ネットワーク」 を軸に展開する議論は, 1970 年代以降のアメリカ女性史研究の理論的成果である 「領域論」 に沿ったものと言えよう。 著者は, 特にメアリ・ビアードに一章を当て, ビアードの, 「女性の視点」 を主張し歴史における 「女性の力」 を示した歴史観の有効性を示している。 そして, GHQ 民間情報教育局 (CIE) 女性情報担当官エセル・ウィードを通して, ビアードが占領期日本の女性政策立案・実施に影響を及ぼしていたことを 2 人の往復書簡から明らかにしている。 また, 日米女性間の 「ネットワーク」 について, 女性たちが 「女性の領域」 において連携し, その連帯の絆 (シスターフッド) が 「女性の領域」 を超える力になっていくことを指摘する。
重要な意味を持つエピソードも多く盛り込まれている。 中でも, 教育基本法における男女共学条項が, CIE, 文部省, 日米指導者の理想や思惑, 力関係など様々な要因が錯綜する中で成立していく過程の詳細な記述は興味深い。 このとき男女平等教育理念の徹底的な議論を回避したために, 男女共学条項が男女の特性教育を暗黙裏に容認することになったと指摘している。 そして, この特性教育の容認が, 日本側だけでなく, 当時のアメリカ社会の 「女らしさ」 を重視するジェンダー観にも起因していたことも示されている。
最後に, 日米間の国境を越えたシスターフッドの役割を検証する本書が, 歴史研究の新しい潮流 「トランスナショナル・ヒストリー」 の好例となっていることも指摘しておきたい。
有賀夏紀 (埼玉大学)
小山敏夫 著
『ウィリアム・フォークナーの詩の世界──楽園喪失からアポクリファルな創造世界へ』
(関西学院大学出版会, 2006 年, 4,200 円)
仮にウィリアム・フォークナーが 『響きと怒り』 (1929) 出版直後に亡くなるか, あるいはフランスのあの詩人のように芸術ときっぱり縁を切って別の世界に身を投じたとしても, 彼の名はアメリカ文学史だけでなく世界文学史に残っただろう。 だが, 一冊の詩集 『大理石の牧神』 (1924) と, 三編の長編小説── 『兵士の報酬』 (1926), 『蚊』 (1927), 『サートリス』 (1929) ──などによってその名が文学史に残ることはほぼ確実になかったはずである。 それほど 『響きと怒り』 の存在は大きいし, さらにはそれ以降発表された長編・短編小説群がフォークナー文学をフォークナー文学たらしめるものであることは, 改めて言うまでもない。 だが, そうしたフォークナーの文学世界が彼の初期の詩的想像力によって支えられていることを再確認する必要があるというのが, 本書の最大の主張であると思われる。 詩人になり損なった若いフォークナーの軌跡を, 小山氏は伝記的要素と絡めながら詳細に論じていく。 さらにはそうした詩作の影響が, 後年の小説にまで及んでいることを確認していく。 読者は小山氏の誠実な読みに従いながら, その指摘に肯くことになる。
1960 年代から 70 年代にかけては, 草稿研究を初めとしてフォークナーの創作の源泉を丁寧に探究する地道な研究が多く行われた。 日本では大橋健三郎氏の 『フォークナー研究 I, II, III』 (1977, 79, 82) がそうした仕事として特記される。 したがって初期の研究そのものは, 特に珍しいというわけではない。 ただ, 本書の特徴は, 一冊全てをフォークナーの初期時代と, 詩作の検討に費やしている点である。 本書は, 序章に始まり, 以下 10 章にわたって詩作時代, 詩の特質, 初期の文学土壌などの考察と, 『大理石の牧神』, 『春の幻』, 『ミシシッピ詩集』, 『ヘレン』, 『緑の大枝』 についての具体論が展開され, 作家として歩みだす前のフォークナーにとって詩がいかに重要であったかを論じているが, そうした試みは日本では最初のものといえるだろう。 その意味で貴重な考察だが, 一, 二点, 気になったこともある。 一つは, 伝記的要素と詩の解説が渾然一体となっているためか, 記述に繰り返しが散見されることで, それが理解を邪魔する場合があるということ。 もう一つは, 詩の具体的な引用が少ないため, せっかくの影響関係についての考察などに分かりにくさが残ることなどである。
とはいえ, 本書は詩がいかに小説の創作を左右したか, そして最後までその詩的想像力が失われなかったかを改めて確認させてくれる。 詳細に詩全般にわたって論じた研究書として, また詩が如何にフォークナーの作家としての資質に影響を与え続けたかを論証するものとして, 本書の意義は大きいといえるだろう。
林 文代 (東京大学)
新井正一郎 著
『ウォルト・ホイットマン──架け橋のアメリカ詩人』
(英宝社, 2006 年, 3,780 円)
『草の葉』 初版の出版 150 周年にあたる 2005 年, 日本でもホイットマン関係書の出版が相次いだが, 本書もその流れを汲む一冊にあたるだろう。 「人と人との繋がりや民族と民族との融合, 目に見えない未知の世界との結びつきなど, 架け橋をめぐるさまざまなイメージ」 をホイットマン理解の 「鍵」 としながら著者が一貫して追求するのは, マルカム・カウリー, ヘンリー・S・キャンビー, レスリー・A・フィドラー等の先行研究によるホイットマンの 「預言者」 像に, 著者独自の新たな解釈を提示する試みである。
まず序章で, 1855 年の 『草の葉』 出版当初は 「半文明人」 の詩人像が, 1860 年代の 「善良な白髪詩人」 を経て, 1880 年代には 「預言者詩人」 像へと形成されていく経緯が簡潔にまとめられている。 ここで著者が問題視しているのは, ホイットマンの 「預言者像」 がその文学的評価と結びついたものというよりは, 「少数の支持者」 によって広められた事実とともに, ホイットマン本人の作為的な操作が介在していることである。 そのうえで本書は, ホイットマンの生涯を三つの時期─「ニューヨーク・ニューオーリンズ時代」, 「ボストン・ワシントン時代」, 「キャムデン時代」─に分け, ホイットマン自身による 「預言者」 像操作の真相を, 当時の芸術や政治, 経済などの諸相から解き明かす構成となっている。
第一部 「ニューヨーク・ニューオーリンズ時代」 では, アメリカを政治の力で 「民主的な社会に作り変えたいと一念発起」 したホイットマンが, 政治へ失望した後に芸術に新たな可能性を見いだす軌跡を辿る。 現実社会で失われた他者との一体感を芝居に見いだしたホイットマンがさらに絵画へと興味を移していく様子, 当時流行した骨相学の診断をホイットマンが受けた際の 「判断図」 とその後の彼の人生との繋がり, また移民 (アイルランド系とドイツ系) との関わりも併せて取上げられている。 第二部 「ボストン・ワシントン時代」 では主に南部戦争前後の社会を背景に, 「軍鼓の響き」 詩群やリンカンについての彼の言及, またワシントンの病院に連日通った時期に見られる同性愛的側面などから, 詩人が 「アメリカの現実からの離脱」 へと向かった状況を説明づけている。 そして最後の第三部 「キャムデン時代」 では, 南北戦争後のアメリカ社会に対するホイットマンの姿勢に注目し, 最終的に彼が 「アメリカの国民詩人」 から 「国際民主主義詩人, 未来のことをおしはかる予言詩人」 に変貌したのは, 自身の 「尊大な考え方の失敗または変節を覆い隠すべく身につけたポーズにほかならない」 という著者自身の解釈で締めくくられている。
本書全体を通じて, ホイットマン周辺研究への著者の並み並みならぬ熱意を窺わせる。 引用されているホイットマンの詩が伝記的補足に留まっている印象を与えはするものの, 時代の潮流に左右されるホイットマンの姿が, 新聞記者時代に彼が残した数多くの社説や記事から浮き彫りにされている。 詩人と時代との躍動的な関わりをめぐり, 当時の社会の諸相に精力的に分け入った貴重な労作といえよう。
金澤淳子 (早稲田大学・非)
地主敏樹 著
『アメリカの金融政策──金融危機対応からニュー・エコノミーへ』
(東洋経済新報社, 2006 年, 3,780 円)
アメリカの金融政策に言及した書物は枚挙に暇がないほどだといえるが, 日本人の手になるもので金融政策を正面から主題とした研究書ということになると, 実は意外に少ない。 本書は, アメリカ経済分析の専門家による待望久しい研究成果である。
組み立ては, 1990 年から 96 年までの金融政策意思決定のやり取りを各回の会合ごとに丹念に追跡した部分を縦糸に, 金融政策のルール, 意図, 効果や政策情報公開に至るまでのテーマ毎の分析を横糸とし, 重層的に積み重ねる方法が採られている。
1990 年から 96 年といえば, 政権は共和党ブッシュから民主党クリントンに移行しており, 経済政策をはじめとする政策姿勢には重要な変化がみられるが, 金融政策に関していえば一貫してグリーンスパンが担当している。 グリーンスパンは 1987 年から 2006 年までの期間にわたり連邦準備制度理事会の議長を務めていたので, 本書が主たる対象とした上記の期間はその全体像をカバーするものとはいえないが, 日米比較を強く意識している著者にとって最適の対象として選ばれたといえよう。 アメリカでは 80 年代末に大幅な銀行倒産など深刻な金融危機に見舞われたが, 90 年から 96 年という時期はその金融危機を克服し, やがて従来とは異なる発展パターンを示したといわれる 「ニューエコノミー」 の時代へとつなぐ重要な期間であり, その間の金融政策運営はアメリカ経済を上昇トレンドに移行させるのに成功したと言われている。 一方で, わが国ではバブル後の処置が長引き, この彼我の差を意識せざるを得ないが, 本書はその問題に金融政策運営の側面から迫ろうとしたものともいえよう。
本書において圧巻なのは, 対象期間における金融政策の意思決定全 65 回 (定例会合, 電話会議, 理事会, 定例会合間政策行動のすべてを含む) について, 会合等の記録 (議事録, 政策指図書, FRB 年報等) をもとに政策判断に至ったポイントを跡付けたクロノロジカルな分析を丹念に行なっているところである。 意思決定の最終的な内容は, FF レートや公定歩合の変更を行なうかどうか, 変更の場合はその方向と幅をどれだけにするのか, 変更しない場合でもバイアスをつけるかどうか, ということにつきるが, その決定をするために意思決定に携わっている委員たちは, マクロ経済情勢と市場の期待や反応を慎重に判断し, 時として意見が分かれながらも政策判断を行なわなければならないものだが, 本書のクロノロジカルなナラティブ分析によって, いわばその全体像が明瞭な形をとってわれわれの眼前に明らかにされたのである。
著者が明らかにしたグリーンスパンの 「マジック」 の秘密は, 実は予測しやすい金融政策運営のパターンが確立されていることであり, そのことを情報公開が支えているということであった。 金融政策に限らず広く政策ルールを考える際に教訓とすべき認識であり, そのことを明確に示した本書の意義は高い。
数阪孝志 (神奈川大学)
2007年08月21日 | アメリカ学会会報
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