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会報163号
巻頭言を以下に掲載いたします。
就任宣誓と政教分離
森本 あんり
今年 1 月 6 日付の 「ワシントン・ポスト」 記事によると, 今期のアメリカ議会は史上もっとも宗教的に多様だということである。 ムスリムで最初の下院議員となったエリソン氏については, 日本でもだいぶ報道されたのでご存じの方も多いと思うが, 他に仏教徒も 2 人いる。 一人はハワイ州のヒロノ氏で, 8 歳の時に日本から一緒に移住した母親が浄土宗だったので, その中で育てられたという。 もう一人のジョンソン氏は, 30 年ほど前に SGI (創価学会インターナショナル) に所属する仏教徒となった, ということである。
さて, この 2 人の仏教徒は, 就任に際しては何に手を置いて宣誓したのだろう。 お経かな, だとしたらどのお経を使うのかな, などと勝手な想像に花が咲く。 実は, この問いに対する正しい答えは, 「何も使わなかった」 である。 仏教徒だから何も使わなかったのではない。 実際に議員として就任宣誓をする際には, 誰も何も使わないのである。 ムスリムのエリソン氏も何も使わなかった。
「いや, そんなはずはない, だってわれわれは写真を見たではないか。 エリソン議員が, 星条旗の下で, 奥さんや新下院議長のナンシー・ペロシと一緒に, ジェファソンが所有していたという年代物のコーランに手を置いて, 晴れがましく収まっているではないか。」 そう思われる方もあろう。
ここに, メディアの落とし穴がある。 それらの写真をよく見てみると, かならず reenactment という小さな一言が入っている。 あれは, 正式の宣誓の後で, 写真撮影用に行われる個人的なセレモニーにすぎない。 地元の選挙民向けに大統領や議長などと一緒に撮るもので, 奥さんや子どもが一緒に写っているのもそのためである。 実際の宣誓は, 本会議の議場でひとまとめに行われるため, 個々人の信条がどうであれ, 儀式には何も使われない。
ゴシップ的な興味を離れて, 少しアメリカの政教分離規定をおさらいしよう。 「連邦憲法」 6 条 3 節には, 公職に就く者はこの憲法を擁護する旨の宣誓または確約をしなければならない, と定められているが, 同時に, 誰も 「宗教上の審査」 を課されることはない, とも定められている。 各人はそれぞれ自分の信仰に適ったしかたで宣誓をしてよいが, それを要求することは憲法違反なのである。 しかも, ここで 「宣誓または確約」 (oath or affirmation) と書かれているのは芸が細かい。 「宣誓」 という言葉のもつ宗教的な色彩を避けるために, 「確約」 という別の選択肢が入れられているのである。 無信仰者でも, これならできる。
大統領についても同様の規定がある (2 条 1 節 8 号)。 われわれは, 4 年ごとにあの大仰な就任式を見せられているので, どうもアメリカの大統領は聖書に手を置いて宣誓するのが決まりであるかのように思い込んでしまう。 われわれだけではない。 アメリカのコラムニストですら, そう思い込んでいる人がある。 しかし, 少なくとも法律の上では, アメリカの大統領には, 何教徒であっても, 無神論者であっても, なれるのである。
実は, 「宣誓」 でなく 「確約」 を選んだ大統領が, すでに 2 人いる。 ピアースとフーヴァーであるが, もちろん 2 人とも無神論者ではない。 むしろ彼らは, 「誓ってはならない」 という聖書の言葉を厳格に守るという宗教的な熱心さのゆえに, 「宣誓」 を拒んだのである。 日本でしばしば誤解されることであるが, アメリカの政教分離は, あくまでも宗教の自由な実践のための規定である。
以上は, この夏から始まる 「南山大学アメリカ研究夏期セミナー」 の準備会でお話したことの一部である。 政治と宗教をめぐる問いは, 歴史的にも今日的にも, なかなか一筋縄ではゆかない奥深さをもっている。 わたしとしては, それが単なるトレンド・ウォッチングを越えた思想の問題へと発展してゆくことを願いたい。
(国際基督教大学)
2007年05月15日 | アメリカ学会会報
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